2022年5月31日(火)
- Shinwa go
- 2022年5月31日
- 読了時間: 4分
更新日:2022年6月7日
【回想:ゴムボート時代】
陸っぱり(堤防や磯から)の釣果に限界を感じ,船釣りを考え始めたのが,30歳を向かえようとしたときである.その当時も人見知りが激しかったので,遊漁船などの乗合船はもっぱらゴメンで,「一人で気ままに行くには船を持つしかないなあ〜」と考えていた.
しかし,家族を持ち,自分の小遣いは月2万円である.あれこれ考え,ランニングコストが安価な船外機付きゴムボートを購入するために,貯金しようと心に決めた.
目標の購入船は,ジョイクラフト オレンジペコ305にトーハツ 2サイクルエンジン8馬力のセットである.これに法定設備,船検登録,その他もろもろを入れると約30万円になる.
3年間頑張った.釣りは磯に行かず,堤防釣り,もしくは投げ釣りのみとし,マキエサ代を節約するため,精米機にある無料のヌカをかき集め,釣り場近くで砂を回収してマキエサのかさ増しをしていた.しかし,25万円弱しか貯まらない...
もう,精神的に限界である.究極の奥義を出すしかない!
父親に電話をかけた.「ゴムボートが欲しいの〜(ウルウル)」,電話をかける前に,どうすれば父親の援助を受けられるかのシミュレーションを繰り返し,単刀直入に心に訴えかけるイントネーションを加えて発言する.そう!体育会系で親分肌の父親にはこれしかない.
父親から10万円の援助に成功した.
目標の船外機付きゴムボートを手に入れ,高知県,愛媛県を中心に当時乗っていたホンダのスッテプワゴンで行きまくった.やはり,陸っぱりと比べて釣果は雲泥の差である.
残念ながら,釣りをしている写真はほとんど残っていない.その当時は,記録に残すという意識がこれっぽっちも無く,ひたすら釣りまくっていた.
写真をめちゃくちゃ探したが,これだけである.娘が遊んでいた和室でゴムボートを広げ艤装(改良)しようとしたとき,「私の部屋で何しゆうが〜」と言ってボートにおもちゃを放りこみ,キーボードを弾き始めた写真,そして娘と息子でキス釣りに行った写真.いやいや,他に釣りをしていた写真が絶対あるはず...私の勇姿が!!


写真の娘は10歳のときであるが,この6月2日で21歳をむかえる.早いなあ〜.誕生日おめでとう!いつも「もう一踏ん張りの精神」でがんばれよ(父より)
そのときの釣りをしている写真が探してあったら,改めてアップします.(絶対あるはず!)
そういえば,海上保安庁にはよく検査に入られた.当時私が釣っていた場所では船外機付きゴムボートで釣りをしている人が皆無であったためだろう.
主には高知市種崎の海岸や須崎市の海岸からゴムボートを出し,水深20〜30mまでフルスロットルで行き,釣りをするのがパターンであった.(今考えると若かった.危ないなあ).釣りをしていると,背後からスーと真っ黒なゴムボートが手持ちのライトをチカチカさせながら,やってくる.海上保安庁である.
いつもまず「大丈夫ですか?」と言われた.「はい」と答えると,「釣りですか?」,それ以降は船舶検査書,免許証を渡して,確認が終わる.このやりとりを5,6回したと思うが,その後さすがに認識されたようで,高知では近づいてくるが「気をつけてね〜」で検査されずに済むことが多くなった.
愛媛県今治市波方町の沖で釣りをしていたときは,びっくりした.真夏で暑かったためパラソルをたてて,釣りをしていたのだが,海上保安庁のヘリコブターが上空を旋回して「ライフジャケットを確認させてください.」とスピーカー越しに言っていた.
自分は着用していたので,他の船にだろうと思っていると,「オレンジ色のゴムボート!あなたの船は法を遵守しなければいけません.言うことを聴かないようであれば,乗船し確認する!」,「えっ,私のこと!!」,「ヘリコブターからゴムボートに人降りてくるの??」.慌ててパラソルを閉じて,ライフジャケットを着用している姿を見せた.
このような釣りを40歳くらいまで続けていたが,仕事がものすごく忙しくなったこと,ゴムボートの準備と持ち運びに体力が追いつかなくなったことから,船釣りでは貸し船を利用するようになっていった.
ゴムボートは若い人に譲った.
そのときのことを思い出すと,危なっかしくも,なつかしい経験である.
今の船購入のいきさつも読んでみたいです!